外に出て、今度は萬翠荘の裏手にある“愚陀仏庵”へ向かう。愚陀仏庵とは、夏目漱石が松山中学に英語教師として赴任してきた際に下宿していた家で、それを萬翠荘の裏に復元したものである。もともとはここにあったものではなく、二番町二番地にあったらしい。
夏目漱石がこの下宿の二階に暮らしていたとき、ちょうど子規が結核の療養のために松山に帰ってきて、勝手に漱石の下宿の一階に転がり込んできたというのだ。
子規はこの直前に、日清戦争に新聞記者として従軍したが、子規が従軍してすぐに講和談判に入ったため、1ヶ月くらいで帰国してきた。しかし、その間にも患っていた肺結核はどんどん悪くなっていき、船が大連港を出て神戸港に着いた時には、一人で歩くこともできないほど弱っており、神戸の病院に2ヶ月ほど入院した。そしてその後、須磨の保養院へ転地療養した。そこで1ヶ月くらい療養し、小康状態を得たところで、故郷の松山に帰ってきたのであった。
漱石と子規とは、大学予備門時代からの友人であり、子規にとって漱石は最良の友人であったらしい。おそらく漱石も同じような思いを持っていたのではないだろうか。漱石と子規は性格がまったく違うように感じるが、違うからこそ二人は、お互いにないところを学びあうような、そして刺激しあうような友人だったのではないかと思うのだ。
それにしても、本から感じる子規は、とても愛すべき人だったように思う。俳句に対する激しい思いがあるかと思えば、妙に自分の人生を冷静に見ているようなところもあり、それでいて子どもらしい無邪気な性格が見えたりと、人間性あふれる人だったように私は感じるのだ。だから、いつもたくさんの人に囲まれていたのだろう。
そんな漱石と子規が一緒に過ごした愚陀仏庵へ行ってみた。愚陀仏庵は萬翠荘の裏手の山の斜面にひっそりとあった。
まさに山の中といった感じである。木々でうっそうとしていて、昼でも暗いような斜面の急な階段を登っていかなければならない。もちろんベビーカーは使えないので、夫が息子を抱っこし、私がベビーカーをかついで登った。距離はたいした距離ではないが、けっこう疲れる。
愚陀仏庵は、純和風のこじんまりした建物で、開け放してある居間みたいな部屋は落ち着いて上品な感じがした。ここに子規が生活していたのだろうか。
祝日にはお茶席があり、300円と書いてあったが、なんとなくずかずか入っていけるような雰囲気ではなく、他の観光客の人もなぜか遠巻きに建物を見ているような感じだったので、私たちも眺めるだけにした。
こうして午前中は、十分に『坊っちゃん』と『坂の上の雲』の世界を私なりに味わい、満足して次へ移ることにした。
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