それにしても思う。『坂の上の雲』の明治時代の日本人って本当にすごかったなって。『坂の上の雲』だけでなく、司馬遼太郎さんのこの時代を描いたほかの本を読んでもいつもそう思うが、このミュージアムを見てさらにそう思った。
でもそれは明治時代の日本人がすごかったからだけでなく、それ以前からの文化の積み重ねもあり、それが明治時代になり、外国と密に接触せざるを得なくなり、必要に迫られてうまく開花したと言ったらいいのだろうか。とにかく色々な要素がからみあい、そのエネルギーが爆発し、明治時代の発展を築いたのだろうとミュージアムの展示物を見て思うのであった。
ところで、この時代の、国家を担う働きをしていた人々の気持ちを表したような文章が、『坂の上の雲』の中にある。
「好古のころの日本は、いわばおもちゃのような小国で、国家の諸機関も小世帯であり、その諸機関に属してその部分部分をうごかしている少壮の連中は、自分の一日の怠慢が国家の進運を一日おくらせるというそういう緊張感のなかで日常業務をすすめていたし、げんにそれらの連中個々の能力や勤怠がじかにその部分部分の運命にかかわっていた。」
すごい時代である。さすが新興国家の成長期だからだろうか。たぶん今の日本人の中には、ほとんどない感覚だと思う(それとも政治家の方々や国家公務員の方々はこう思っているのだろうか)。こういう緊張感を多くの日本人が持っていたから、明治期の日本があったのだろう。
良いか悪いかは別にして、このような緊張感は、上昇志向やエネルギーに満ち溢れた人々にとっては、なかなか面白いものだったのではないだろうかと思ったりもする。自分が頑張った分だけ、国の命運という形で現れてくる。国を良くすると言う大義名分があるだけ、やりがいも情熱もあふれてくるというものだ。
それに引き換え、現代の日本は成長しきってしまった国だからだろうか、この時代のようにはっきりとした目的意識もなくなり(明治時代の目的が現在の倫理感に照らして良いものかどうかは置いといて)、何のために頑張るのかが見えにくくなっている。これもどの国もがたどる国の成長のあり方として、仕方がないものなのだろうか。
それともう一つ、この本を読んでいて印象に残ったことがある。だいたいどの国においても、国の成長期みたいなときというのは、多くの国民も自分の利害を超えて、国家の行き先を考え、身を粉にして国家のために働くところがあったりする(そうせざるを得ないところもあるが、少なくとも上に立つ人間の多くは進んでそのように働いていたのではないかと思う)。が、ある程度成長しきってしまうと、組織が古く固くなってしまうのか、役人や政治家が官僚的になってしまい、目先の利益や自分の保身のことばかりを考えてしまうようになり、結果国全体の未来のことなどどうでもよくなってしまうようなところがあるということだった。
日露戦争当時のロシアがまさにその状態であり、国を引っ張っていくはずの多くの人々がロシアの国全体のことを考えているというよりも、自分の保身ばかりを考えていたから、負けるはずが無いと思われていた日本に負けてしまったのだ。
翻って今の日本を見てみると、どうなのだろうか。私は国家公務員にも政治家にもなったことがないので、はっきりしたことはわからないが、ニュースなどで世の中を見ていると、国自体がどちらかというとあの当時のロシアに近い体質になっているように感じてしまうことがある。
とにかく、ミュージアムで展示物を見ながら、歴史のことや国家について、色々考えてしまうのであった。
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