そういえばもう一つ、宮古島が離島だと言うことを感じさせるエピソードを思い出した。“道後温泉旅行記”にもたびたび登場した『坂の上の雲』の中に、ちょっと宮古島に触れた部分があるのだ。
ご存知『坂の上の雲』は、日露戦争当時をめぐる歴史小説であるが、ロシアのバルチック艦隊が日本海に向かって航海してくるとき、宮古島の近くを通った。当時、日本の海軍にとってバルチック艦隊がどのコースをたどって日本にくるかということが、作戦上ものすごく重要で、ピリピリ神経をはりつめているところであった。
そんなとき、日本人で一番初めにバルチック艦隊の姿を見たのが、那覇から宮古島に船で向かっていた商人であった。宮古島に着いてからそのことをお役人に報告し、島庁が大騒ぎになり、東京に報せようということになる。
しかし、当時は宮古島に無線設備などなく、八重山諸島の石垣島に電信局があるということで、石垣島へ行くことになった。
私などはそれまでは、宮古島も石垣島も同じ沖縄の島々なので、だいたいまとまっていてどこも近いようなイメージを持っていた。だから石垣島に行くといっても、そんなことは簡単なことだと思った。しかし実際そんなことはなく、宮古島から石垣島まで離島づたいに約170kmもあり、当時は簡単に石垣島に行って来る、なんてことはできなかったのだ。
しかも、当時は現代のようなしっかりした船などはなく、大木をけずった木の船を櫂でこぐといういたってシンプルなものなのだ。そんな船でその距離を航海しなければならないということで、命がけの航海になるのだ。
お国のため、ということで、5人の青年がその命がけの伝令となり、15時間海上を漕ぎ続けどうにか石垣島へ到着し、そこから東京の大本営へ「敵艦見ゆ」という電信を送ることができたというエピソードが『坂の上の雲』に書かれていた。
このエピソードを読むと、宮古島が日本本土はもちろんのこと、他の島々ともいかに孤立した島であるかがよくわかるのであった。またこのエピソードの部分を読むと、当時の日本庶民の生活や純朴さ、それに国に対する姿勢などが見えてきて、そういった面でも面白かった。以上余談である。
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